その135 私と新宿の関わり

 新宿剣道連盟は本年、創設70周年を迎えます。誠におめでとうございます。
 7月3日には記念式典と稽古会が予定されています。皆様とお会いして剣を交えるのが楽しみです。
 私はもともと兵庫県警察で剣道の指導職にありましたが、平成5年(1993)4月に警察庁の付属機関である警察大学校に転勤いたしました。
 住居は新宿区内の警察庁北新宿宿舎であり、前任者の勧めもあって新宿区剣道連盟に入会しました。
 新宿に住んでしばらくは夫婦でドタバタがありました。そのドタバタの様を全剣連の広報誌月刊『剣窓』に掲載したものがあるので紹介いたします。

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      大沢在昌「新宿鮫」シリーズの舞台に住んで
                                    真砂 威
 東京に転勤となり、新宿(北新宿三丁目)の宿舎に引っ越した初日、わが妻の発した新宿評は、「信じられん!汚い!なんて街?!」である。意気揚々と夕食の献立を揃えに行った近くのスーパーで、置き引きに遭ったというのである。
 悪い刷り込みが刻印されたというべきか、その後の妻は、ことあるごとに、人、特に外国人が多いこと、ゴミゴミした路地裏、最寄りの大久保駅付近一帯の国際色の濃いい裏町、ことごとくに嫌悪感を訴えるようになった。
 東京の顔ともいうべき摩天楼のような西新宿の超高層ビル群も、まるで無表情な冷たいコンクリート柱の乱立としか写らなくなってしまったかのようだ。
 年齢的にみて、カルチャーショックとかネームバリューと現実の落差という類の、か細い失望感とはいささか趣は異なるが、ウン…十年生きてきた中で初めて受けた盗難被害にすっかり心が竦んでしまったようだ。
 たしか、兵庫県警から警察庁に出向が決まったとき、転居先の住所を見て、「えっ!新宿に住むの?カッコいいわね!」と気色ばんでいたのだが…
 すっかり意気消沈した妻に、「ベストセラーとなった、あの『新宿鮫』の舞台やでエ、ここは」と慰めにもならぬ言葉を発する私だった。
 東京都庁が新宿に移転した翌々年、平成五年春の話である。
 その後しばらくは夜間の一人歩きを恐がり、十時を過ぎようものなら「駅まで来て」と、お迎えコールがかかる。「誰も襲いはしないよ」と、口を衝いて出かかるのをグッと抑えての出動もしばしばであった。
 あれから七年、今、彼女にとっての新宿は?
 毎日必ずといっていいほど新聞やテレビのニュースを賑わす物騒な街であることには変わりはなく、生々しい事件、事故も生活エリア内で多発している。しかし、年の割には意外と慣れは早く、一年も経たぬうちに面持ちもすっかり変わり、「人間が多いってことはそれだけ住み易いってことなのよね」と心境の好転を示す。どうやら世界の一流品といわれる物が身近く店頭に並んでいることがことさらお気に入りのようだ。ウインドウショッピングを専らにしながらも「東京にはない物がないものね」と、いつしか「住めば都」に変容している。また、新聞の綴じ込みを丹念に調べ、要領よくスーパーを回り、何でも安く手に入れる知恵も身につけた。プロ主婦蘇生。
 そんな東京生活に定着した日々を送る中、昨年の夏、宿舎のリフォームのため転居を余儀なくされた。さっそく係の方から幾つかの代替え宿舎が候補として指定されてきた。私は前回の苦い経験もあるので妻に全権を委ねることにした。が、なんと、「やっぱり新宿がいいわ」と宣(のたま)い、早々と「西大久保宿舎」に決めてしまった。元の北新宿宿舎と目と鼻の先である。すでに子どもらは居ず、校区の問題も友達の心配も全くないのにである。
 長編刑事小説「新宿鮫」の鮫島警部活躍の舞台。「アルコールと食物と空調のほこりの混じった匂いが、香水と体臭を吸収し…新宿の匂いを濃くしていく」(本文)。華やかさと暗黒面が混沌としつつ平然と棲み分けながら共存している新宿。それゆえに様々な人間を蓋(おお)い、息衝かせる包容力を持っているのであろう。
 今や、歌舞伎町、靖国通り、区役所通り、職安通り、税務署通り、明治通り、コマ劇場、風林会館、ゴールデン街etcニュースソースとなるこれらの場所も、普段の実生活と全く隔絶感はなく、彼女の行動範囲となり掌握下?に入っている。颯爽とママチャリ?で風切る様は、まさに「遊弋(ゆうよく)」の観を呈していると、ニンマリ思う近時である。中年をやや?長じてからの大成長に心から拍手を贈りたい。
 鮫島警部がしばしば吐く「新宿はよその街とは違うのだ」は、私たち夫婦も同感である。
 すっかり東京人になってしまったが、よく考えたら夫婦でろくに出かけていないことに最近気がついた。せっかく東京に住んでいるのだから、これからは出来るだけ暇を見つけ、自転車を連ねての都内散策(含食べ歩き)に費やしたいと思っている。(警察大学校教授)
全剣連 月刊『剣窓』平成12年6月号「ずいひつ」掲載

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30年も前の話ですが、この妻も平成17年4月に病没しました。
今昔の感があります。
頓真

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